国宝を観た
国宝を見て、叫びだしたい気持ちをエネルギーに変えて文字を打ってる。有り得ないくらい手が震えてて、信じられないくらい誤字をしているんだけどどうすればいいですか???
当たり前のようにネタバレなので、これから映画をみる予定が少しでもある方は読まない方がいいです。本当に。みたら読んでください。おすすめはレイトショーです。映画見たら生活する気力がなくなっちゃうから、あとはお風呂入って寝るだけにしといた方がいい。
いざ書こうとするとどこから話せばいいかわかんなくて、ストーリーを思い返しては頭を抱えそうになるんだけどなに、この映画。吉沢亮の舞う姿をみて、映画だってのを忘れて毎回拍手しそうになった。臨場感すごい。
涙脆いからどんな映画でも泣くし、なんならアニメとかでも平気で泣くときがあるんだけど、そういうときって感じたことを突き詰めていくとどうして自分が泣いたのかはっきりとわかるのに、この映画は本当になんで泣いたのかわからなかった。つらい、綺麗、かなしい……いろいろ言葉をあげてみてもいまいちしっくりこなくて、言葉の敗北だった。映像でしか味わえない余白が、ちゃんとこちらの心を抉ってくる。感動ってこのことを言うんだなって思った。
も~~~~~~?!?!?!?!さ!!!!
喜久雄があれだけ求めた“血筋”に対するアンサーが“糖尿病”だなんて、そんな、そんなことって……だってあまりにも皮肉すぎる。もうこの話をしたくて書く予定なかったブログをまた書いてるまである。ほんとうに、なに????
追い求めた“血筋”の結末が、それゆえの死だなんて、そんなことある????
俊介が糖尿だって判明した瞬間、そのことに気づいて普通に涙ぼろぼろ出た。喜久雄の表情も忘れられない。この2人はどこまで血筋に苦しめられなきゃいけないんだ。
もちろん糖尿病のすべてが遺伝ではないけれど、創作物のすべては意味のあるものだろうから全く関係ないなんてことはない……と、思う。
でも2人が道成寺をやってるのを見て、この2人はどちらかが欠けてはいけないんだなって。
この2人だからこその最高の演技なんじゃないかなって感じて、うぅ、涙が。
俊介が望んだ“本物の役者”というものに脳を焼かれてるんですけど、彼が追い求めた“本物の役者”ってなんだったんだろう。
国語的な回答をするなら、それはおそらく“その役として生きて、その役として死ねる役者(by.半二郎)”なんだろうけどそれだけだとどうしても物足りない気がしてくるのは私だけですか?
俊介のその言葉に対して春江が逃避行を差し出した理由も私にはわからない。なんで春江が俊介を選んだのかも、わからない。俊介が春江の家の前で雨宿りをしていた理由もわからないし、中に入る?って言われて大丈夫って答えた理由も分からない。もうすべてが分からない。これはヒントがあると信じて原作を読むしかない。
というか、もしこの国語的な答えが正しいとしてじゃあ俊介はそれになれたのか、という問題がまた残るわけで、最期の曾根崎心中がそうだとしたらあまりに役に生きすぎている。最期って打ってまた涙出てきそう。あの瞬間、たしかに“本物の役者”だったと思うけど代償が大きすぎる。でもだからこそ俊介じゃなくて喜久雄が選ばれたんだろうなって納得できた自分がいた。
メタ的な話になっちゃうけど、喜久雄の人生のターニングポイントに雪が使われてるの、最高にエモい。一人の人間の人生を追ってるからどうしても話の振れ幅が大きくなりがちだけど、ちゃんと喜久雄のお話だって思い出させてくれる。そして、あの雪に広がる血の赤と、鷺娘の白い衣装が早着替えで赤くなるのも、ちゃんと始点と終点がはっきりしていて良かった。映画としての完成度が普通に高かったし、邦画だからこその題材がうまく活きてた。本当に、良かった。
万菊さんがひとりで床に就いたの、鑑賞中はあまり疑問に思わなかったけど、母が「万菊さんも後ろ盾がなかったのかな」って言ってて気が狂いそうになった。この解釈が正しいかは映画の中では分かりきらないけど、仮にそうだとしたら万菊さんはどんな役者人生を歩んできたんだろう。初めて喜久雄を見たとき、どう思ったんだろう。
小野川万菊、わからなすぎる。
キャラクター性も、人生も、なにもかもが謎過ぎる。言い方悪いかもしれないけど、困ったときに道しるべだけ示してくれる妖怪感がすごい。もうなにも分からない。
半二郎も半二郎で罪深い。家がないと大変な世界だっての分かったうえで喜久雄に襲名させるんだから、この人もこの人だ。俊介がいないから仕方ないと言われればそうなんだけど、でも罪だよ。
幸子さんの沈黙もおかしくなりそうだった。丹波屋の家に泥を塗ってすみません、という喜久雄に対しての沈黙。もう縁を切るという突き放す気持ちも、そこまで家柄に囚わせてしまったことに対する申し訳なさも、両方を孕んでいそうでそれでも赦すことはできないし元をたどれば喜久雄が来なければ、と感じてさえいそうで、だからこその“沈黙”。誰も悪くないけれど誰かに押し付けてしまいたいようなこの苦しさが重くのしかかってきた。つらいってば。
喜久雄!!!!悪魔と取引したんじゃなくて、お前が悪魔になったんだろ?!?!?!?!(大泣き)
家を出ていった喜久雄がどんどん廃人のようになっていくのは見ていて本当になんで……という気持ちになった。俊介と殴り合いをしたり、いかにも不満そうな態度をとってくれてるうちはまだよくて、どんどん人間味がなくなっていく様子がもう無理。見ていることしかできないことに罪悪感持ち始めたくらいには無理。もう無理。
家を出ていくという行為を俊介と喜久雄が交互にやっているのも、面白かった。何らかの意図は感じるけど、それを読み解ききれないのが若干悔しくて、でもそのもどかしさが丁度いい。
喜久雄、本当に全てを捨てて日本一の役者になったんだなって。その先にあった景色が、せめて彼が求めていたものだったらいいなって。そんなことを思いながらコメダ珈琲で感想戦をしてた。
人間国宝になった喜久雄がインタビューで“順風満帆な役者人生”みたいに言われてて(正確な文言は覚えてない。ごめんなさい)、人間ってやはり自分が見たいものしか見ないんだなって思った。ずっと喜久雄の人生を追ってきた私たち観客は、彼の人生がそんな上手くいっていないのを知っているから、そんなことないよ~~~~~!!!って叫びたくなるし、でも経歴をリアルタイムで追っていなければ“順風満帆”に見えてしまうんだなって思って、最後に心に棘を刺された。
ふぅ、とりあえず糖尿病の皮肉について誰かに話したかったので満足。国宝見たあとは普通に自分の出力方法が正しいのか疑問に思うし、技術の低さに絶望するけど、それでもアウトプットすることはやめられないなって再認識できる。でもしばらくこの余韻を引きずってたいから自分の写真とは向き合えなくなる。私でいいのか、って気持ちになってその懐疑心に押しつぶされそうになるから自我を強く持った方がいい。心が痛くなってきた。
鬼滅もめちゃくちゃみたいけど4DXで浴びたいのでしばらく待つ!!映像作品ってやっぱりいいな。
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