cosplay WT ①

【The Dark Room Problem】


やっとここまで辿り着いた……。

このキャプションに込めた感情を語りたい気持ちとお写真はそのまま楽しんでもらいたい!余計な先入観とかやだ!という気持ちがせめぎあった結果、どっちも捨てられなかった。

一生使わないと思ってた情報の知識がここで辛うじて役に立つなんて 自サイトつくるの結構楽しいのでぜひやってみてほしいです。


お写真を見ていらっしゃらない方もいるかもしれないので、一応載せておきます。

(大きいサイズは恥ずかしかった)


ハイ……ということでいろいろお話していきたいと思います。

そもそもThe Dark Room Problemとは?ということなんですけど “予測処理やアクティブ・インファレンスにおいて、予測誤差最小化を目的とするシステムが、

予測が容易な環境(例えば、暗室)に閉じ込められた場合に、行動を停止してしまうというパラドックス” (Geminiから引用)だそうです。何言ってるのかよく分からん。


私は好きな曲からこの言葉を知って、写真のキャプションに使ったので、作曲者さんがおっしゃっていたことを私なりに咀嚼して書くと “なんの刺激も無い部屋にいれば辛いことはないから部屋にいたままの方がいいのに、

人はそれに耐えきれない” ということ。結構そのままの言葉になってしまった。これをどうにかこうにか三輪秀次で表現したくて!!!ポージングとかは何も決めてない、それどころか構図メモに“構図とかあまり考えてない”

って書いてカメラの子とかに送った。構図メモとは。

構図は決まってないけど廃墟ブースで撮りたい!というのだけパッと思いついて、それで生まれたのがこれです。


他にも数枚撮ったけど、この眼が1番つまらなそう(といったら変かもしれないけど)で、この言葉に合うなって思った。話が前後するんだけど、この題材を三輪秀次という人間に落とし込むという行為がすっっっごく難しくて、

そもそも三輪秀次ってそんなに空虚な人間じゃなくない?とも思ったり。でもこの虚しさを感じないような人ではないはずだなとも思ったり。だから“誰もが内包する矛盾を三輪秀次というツールを使って表現する”というのをテーマに撮影しました。


いや~~~~ 背負えないよ、うん


でも三輪秀次、この気持ちは知ってると思うんだよな~~~~ お姉さんを失った悲しみに気づかないふりをしてボーダーに入らなければ、今まで通りの日常が彼を待っていたわけでそれなのにボーダーという場所で戦ってるのは矛盾のようにも感じる。


歌詞にある“僕らはここで満たされてるはずだった なのに”を聴いたとき、アニメ8話の三輪秀次の顔が脳裏をよぎった。あの曇天の下で雨とも涙とも分からない雫を滴らせる、あの表情が。あれは絶望もあるんだろうけどそれよりも感情が抜け落ちてしまったような、なにも考えることができない、言葉にするなら “え?” みたいな気持ちかなと思っていて。“なのに” の続きを言わないところがさらに胸を抉ってくる。


あとに続く “光も刺激も無くしたこの部屋で 傷つかずにいれば 喜べなくてもよかったのに” とかも刺さる。日常ってほとんどが繰り返しで刺激がないから、それが永遠に続くことを約束されているように錯覚してしまう。だからこそ失ったときの痛みって、“え?” っていう受け入れることを拒否するフェーズが存在するんじゃなかな。


もういろいろと言いたいことはあるんだけど、とりあえず一旦 “未来なんて手放してもいいよ” なんて言わないでほしい。(歌詞であって言ってはない) 

でも彼は侵攻がなかったら今とは全然違う生活を歩んでいたわけで、(復讐のためなら)未来なんて……くらいは平気で思ってそう。というか実際に大学という未来を捨ててるじゃん。もっと利己的に生きてほしい。


“ひとりきりの部屋に光が差してしまったんだよ” ?! “しまった” ?!

たいていは光が差すことは救いを意味するのにそれを “差してしまった” って言うセンスよ。そうだよね……暗い部屋にいれば、なんの刺激も無いけれど安定は約束されるもんね……。そこから出たいと思ってしまう感情って、エゴなのかもしれない。それでも、分かっていても部屋から出てしまうなんて、やはり人間は罪なんだなって。作曲者さんがインタビューで 仰ってたことを抜粋すると、“最初は刺激を受けないことが目的で部屋に入っていたけれど、どうしても主従が逆転して、部屋に居続けることが目的となってしまう。そうなると、どんどん部屋が澱んでいくし、そのよどみに人は耐えられない。だからこそ最終的に澱みが一切ない空間、つまりまったくの無に飛び込むしかなくて、それは死ぬことだよね、みたいな。どうしても澱みのない外の空間に憧れが向いていくから、部屋に閉じこもってもしょうがないよね” ということらしくて。少し三輪秀次とは違うかもしれないけれど、この曲特有の孤独感だったり矛盾だったりを三次元の質感で残しておきたかった。三輪秀次をその題材として。


1ミリも三輪秀次関係ないけど “互いの靴を踏み合ってるだけ” って表現が綺麗だなって思った。英語圏には “Put yourself in someone's shoes” っていうことわざがあります。直訳は “他人の靴を履く” ですが、まぁ日本語的に言うと相手の立場になって物を考えるみたいなことです。それを意味する靴を踏んじゃうんだ?!って思って天を仰いだよね。はい。


話を戻しますが、写真を撮っもらってる間、どんなポーズをしよう?!とか視線は?!とか考えてるとシャッターまでの瞬間があっという間で、感情を込めるのがなかなか厳しかった。もうすでにやり直したい。


写真語りじゃなくて感想みたいになってしまった。反省。


The Dark Room Problemってそのまま訳すと “暗室の問題” なので初めて見ると、ん???みたいなキャプションだと思いますが、少しでもなにか伝われば幸いです。


いっぱい言いたいことがあったから話せてよかった。

動画とインタビューのリンクも貼っておきます。

十六夜